白倉邸の歴史

韮崎市の歴史

韮崎市は、穂坂町三ツ沢遺跡、藤井町坂井遺跡から縄文式・弥生式土器が多く発掘されたことから4,000~5,000年前頃から文化を持った先住民族が住んでいたと考えられています。

11世紀頃、源氏の一族である新羅三郎義光が甲斐の守護となり、その次男である信義が武田の姓を名乗ったことから、武田の名は始まります。
鎌倉・室町期を通じて武田氏が甲斐守護職として実権を握っていました。
しかし名君武田信玄公没後は、その子勝頼が長篠の戦いに敗れるなどして、天目山下田野の地で自刃、武田の歴史は終わりました。

その後徳川幕府の直轄の地となり、静岡より川船が通じるようになってからは産業が発達し、寛政6年までの約40年間巨摩郡の政治・経済の中心地でありました。
廃藩置県、郡界の制定、町村制の施行などにより名称は幾度も変更されてきましたが、昭和29年10月10日町村合併して韮崎市となりました。

市の特色

■韮崎市の鳥 / チョウゲンボウ
■韮崎市の花 / レンゲツツジ
■韮崎市の木 / さくら

韮崎市は山梨県内でも北部に位置し、冬には八ヶ岳おろしと呼ばれる冷たい風にさらされます。
しかし、春には新府城跡付近を中心とし、桃の花が満開になります。
春から夏にかけては市の花であるつつじが満開を迎え、森林浴を満喫することができます。夏の花火の音とともに季節は秋へと移ろいでいき、すばらしい七変化を遂げた木々の紅葉の中で、素敵な時を過ごすことができるため、登山やキャンプを目的とした方々が外部からも多く訪れます。